こんにちは。
新年あけまして、おめでとうございます。
正直に言えば、あまり「おめでとう」とは言えない年明けです。
年末に新型コロナウイルスの変異種が国内でも見つかり、全世界対象に入国規制が厳しくなりました。
また、まだ53歳と若い現役国会議員がPCR検査を受ける前に、コロナ感染症により病状が急変して亡くなりました。
コロナ禍での倒産、休廃業、解雇、失業も増え、今年度上半期(4~9月)の生活困窮の相談件数が昨年同期の3倍になったとの報道もありました(全国の自立相談支援機関に寄せられた新規相談件数)。
新年で気分一新、何かグッドニュースはないかと思い巡らしますが、残念ながら、すぐに頭に浮かんでくるものがありません。
昨年の最初のブログでは、中村哲医師と香港デモについて書きました。
香港の状況は、国家安全法の施行もあって、ますます悪化の一途をたどっているようです。
周庭さんは有罪判決で収監されてしまい、保釈請求も却下されました。
昨年末、NHKでアフガニスタンの中村医師のもとで井戸掘りや水路工事等に従事した元若者(「ワーカー」と呼ばれています。)のうち4人を特集したドキュメンタリー番組が放送されました(12月27日放送「中村哲の声がきこえる」)。
将来、国際機関で仕事をすることを目指していたある人は、就職のためのキャリアアップとして、いわば「箔をつける」ためにアフガニスタンの中村医師のもとに来たのでした。
しかし、現地での中村医師の活動の様子を見て、自分の生き方を振り返り、中村医師と同じ道を歩きたいと、帰国後、猛勉強して医学部に入り、35歳で医師となりました。
今は、訪問診療専門の医師として働いています。
この人が、中村医師の「一隅を照らす」という言葉が心に残っている、それは「自分がやりたいこと、やるべきことに集中しなさい」という中村医師の教えではないか、今はその言葉を胸に活動していくことが中村医師の教えに報いることではないかと語っていました。
番組では、「一隅を照らす」に関しての「世界がどうだとか、国際貢献がどうだとかという問題に煩わされてはいけない。それより自分の身の回り、出会った人、出会った出来事の中で、人としての最善を尽くすことではないかというふうに思っております。」との中村医師の言葉も紹介されていました。
9.11の後、アメリカ軍の猛攻撃にさらされたアフガニスタン。
そういう大状況の中で、中村医師は、コツコツと井戸を掘り、水路を築き、アメリカ軍が爆弾を降らすなら、我々は食料を降らそうと、小麦粉と食用油を住民に配布し続けました。
番組の中で見られる中村医師や若い日本人ワーカーが、現地の人々と笑顔で話し、握手し、肩をたたき合う姿は本当に美しい情景です。
ある元ワーカーは、現地の人たちは、苦しい状況であってもいつも明るく笑顔でユーモアがあると言っていました。
「一隅を照らす」
ある元ワーカーにとっては、僧職にあって絵本専門の書店を開いて絵本のすばらしさを伝えていくこと。
また、ある元ワーカーにとっては、東日本大震災の被害を受けた故郷で、農業専門の雑誌を作りながら、農家を回ってその手助けになるヒントを伝えていくこと。
そして、また、別の元ワーカーにとっては、コールセンターの管理者として日々の問題を悩みながらも解決していくこと。
それぞれの元ワーカーは、アフガニスタンでの経験を財産として、中村医師の教えを胸に、迷ったときには中村医師の顔を思い浮かべながら、毎日を生きているように私には見えました。
困った状況にある人々のために、ただひたすらコツコツと、自分が正しいと思ったことを、ただ誠実に懸命にやり続ける。
中村医師は、まさしくその体現者でした。
アフガニスタンに限りません。
コロナ禍で、私たちの「身の回り」にも、困った状況にある人たちは増えています。
私にとっての「一隅を照らす」とはどういうことでしょう。
自宅の私の机に座れば、クリアファイルに挟んだ新聞記事の中で中村先生がやさしく笑っています。
「あんたもそろそろ余計なものは捨てて、困った状況にある人たちのためにやるべきことをコツコツと誠実にやる生き方をしたらどうだい」とほんわかと語りかけてくれます。
どんな状況であっても、道を照らしてくれる存在があるということはありがたいことです。
今回は、年頭に当たって、昨年に続き、中村哲医師のついて想いを巡らしました。
今日も、拙い文章をお読みいただきありがとうございました。
(2021.01.02)