こんにちは。
日経新聞では、英フィナンシャル・タイムズ紙(FT紙)のコラムや記事を週3回、翻訳して掲載していますが、1月8日版に、「アフガンの罪人と聖人」と題して、中村哲医師に触れた記事がありましたのでご紹介したいと思います。
アフガニスタン紛争の検証
チーフ・ポリティカル・コメンテーターのフィリップ・スティーブンズという人の記事で、アメリカが派遣している1万2千人の兵士を米国に戻すため、アフガニスタン政府の頭越しに、タリバン指導部と交渉を始めたというフガニスタン情勢の現状について述べた後、昨年12月に起きた2つの出来事について書かれています。
1つは、ワシントン・ポスト紙が暴露したアフガニスタン紛争に関する米政府機関の事後検証結果であり、もう1つは、中村哲医師の殺害事件です。
このなかで、2つを対照的に非常に強調されていることがあります。
それは、上記検証結果からわかるのは、アメリカ国内でこの紛争に関係した「責任ある立場の人々があまりに無知だった」「指揮した責任者たちは、アフガニスタンの歴史や文化について本当に何も知らなかった」「カブールの政府と地方の族長たちとの間で権力が伝統的に分割されていたことを理解している人はほとんどいなかった」という指摘です。
一方、「中村医師はアフガニスタンを理解していた」と書かれています。
アメリカ軍の責任者は、アメリカ国内にいて作戦を立てたり戦略を練ったりしていたのでしょう。
現地の軍隊、兵士についても、基地内で生活し、軍の車両に乗って、銃器を構えて地域を巡回するだけで、一部を除き現地の人々と交わることはなかったでしょう。
現地の生活に根差した中村医師
それに対して、中村医師は、現地で長年生活をし、現地の言葉で人々と話し、ともに労働し、ともに汗を流した人です。アフガニスタンではカカ・ムラド(ナカムラのおじさん)と呼ばれ、人々から慕われた人です。
私が参加した帰国報告会でも、中村医師は、地方の族長たちの役割について強調されていました。本当に「中村医師はアフガニスタンを理解していた」人だと言えると思います。
タリバンについても、わが国における報道のように、一方的な「悪者」ではなく、タリバン政権の時は、却って治安が良くなり、失くしたものが戻ってくるようになったという趣旨のことを話されていたと記憶しています。
とにかく、現地で生活する中で、実際に自分の目で見、自分の体で体験したことに基づく観察です。これほど確実なことはありません。
中村医師の鋭い洞察
このFT紙の記事では、「アフガニスタンで戦闘に携わる者の多くは住む土地を追われ、家族を養うカネを得るために雇い兵にならざるを得なかった」「農地が再生されると、兵士になる年齢の男性が農作業で忙しいため、暴力が大幅に減った」という中村医師の鋭い洞察も紹介しています。
また、「中村氏の水路建設のプロジェクトを追った日本のテレビドキュメンタリーを見た人々は、彼が現代の聖人と呼んでも差し支えないほどの生涯を送ったという見方にきっと同意するだろう。」ともこの記事では書かれています。その通りだと思います。その通りですけど、私たちは、中村医師を「聖人」に祭り上げて済ませておくわけにはいきません。
中村医師は、
アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かる。
敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だと肌身に感じる。
単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。
憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです。(毎日新聞 2013年6月6日付)
と語ったことがあるそうです。
私も、中村医師の講演会で同じ趣旨の言葉を聞いたと思います。
今、わが国は、「自分の政権で憲法改正をやり焦げる」という政治家を首相としています。
丸腰が一番安全、憲法9条が自分たちを守ってくれるという中村医師のリアルな思いをもう一度、胸に刻みたいと思います。
中村哲医師は亡くなりましたが、その遺志は、いろいろな人たちによってさまざまなかたちで引き継がれていくことは間違いないと確信しています。
FT紙が記事にするということは、中村医師の業績は、アフガニスタンと日本に限らず、世界にもよく知られていることを示しています。
私自身も残り少なくなりつつある人生において、中村医師の活動を想起しつづけていきたいと考えています。
今日も拙い文章をお読みいただきありがとうございました。
(2020.01.18)