「笑いと治癒力」
こんにちは。
最近、岩波書店の同時代ライブラリーに入っている、ノーマン・カズンズ著(松田 銑訳)『笑いと治癒力』を読んでいましたら、興味深いエピソードがありましたので、それについてお伝えしたいと思います。
著者は、アメリカの雑誌編集者・ジャーナリストです。
この本全体のテーマは、著者の難病(膠原病)からの回復という経験を踏まえた、ヒトにはもともと自然治癒力が備わっている、副作用のある薬の投与等よりも、その人の生きる意欲が病気からの回復のためには重要であるということになるかと思います。
その体験記は、医学専門誌に掲載されて、全米の医療関係者等3,000人から著者に手紙が来るなど、大きな反響を呼んだということです。
今日、お伝えしたいことは、その中の、著者が90歳になる直前のパブロ・カサルス*1をプエルト・リコの自宅に訪ねた時のことです。
カサルスの1日2度の奇跡
その時のカサルスの様子について、著者は次のように書いています。
カサルスは、種々の疾患があって、自分で衣服を着ることがむつかしかった。/
カサルスはマルタ夫人の腕にすがって居間に入ってきた。ひどく腰が曲がっていて、首を前につき出し、足を引きずって歩いた。両手はふくれ、指は曲がっていた。
いかにも弱々しい老人の姿が浮かびます。
カサルスは、日課になっているピアノの前に座り、「ふくれて曲がった指をやっこらさとピアノの鍵盤の上に持ち上げ」ます。
と、ここで「奇跡」が起きます。
「カサルスの曲がった指が少しずつ開」き、「彼の背もピンとまっすぐになり」バッハの「平均律クラヴィア曲」の小曲を弾き始めます。
「カサルスは、ピアノを弾きながらハミングで曲を口ずさみ、それから「バッハがわたしのここに呼びかける」と言って、片手で心臓の上を押え」ます。
曲がバッハからブラームスのコンチェルトに変わります。
その指はもう素早く、力強くなり、目もくらむような速度で鍵盤の上を走(る。)/
彼の全身はさながら音楽と溶け合ってしまったようだった。こわばりちぢんでいた今までの姿はどこへやら、いかにもしなやかに優雅に変わって、関節炎の患部もまったく苦にならないようだった。/
ブラームスの曲を弾き終えると、彼は一人で立ち上がったが、居間に入ってきた時にくらべて、姿勢もはるかにまっすぐで、身の丈も高くなっていた。今度は少しも足を引きずったりしないで、朝飯の食卓に歩いて行き、元気よく食べ、にぎやかに話し、食事がすむと、海岸へ散歩に出かけた。
いかにも弱々しかった腰の曲がった老人が、ピアノを弾き始めると、シャキッとした若々しい演奏家に変身したようです。
散歩から帰って、昼寝をした後の午後にも、著者は同じような「奇跡」を目の当たりにします。
こんどはチェロの演奏です。
これはカサルスの日課ですから、「奇跡」は毎日2度起きていることになります。
著者は、「彼の創造力であり、ある特定の目的を達成しようとする彼自身の願望」、バッハやクラシック音楽に対する情熱がこの「奇跡」の理由であると言いたいのだと思います。
生きる意欲
私は、著者が書くカサルスの体の変化の様子に強く打たれる思いがし、何か元気をもらったような気がしました。
著者は、何も精神論を述べているわけではありません。
心の持ちよう(生きる意欲)がある種の化学反応を起こして身体に良い影響を与えることがあるということだと思います。
現代医療を否定しているわけでもありません。
科学的な目を持った非常にバランスの取れた考え方の持ち主であるように感じました。
精神と肉体を別のものととらえるのではなく、一人のヒトとして総合的にとらえる見方(ホリスティック・ヘルス)の重要性を述べているもので、私も大いに同感するところです。
ただ漠然と生きるのではなく、何かをしたい、ぜひこれを実現したい、社会貢献をしたいという生きる意欲、情熱を持って、これからの人生を歩んでいきたいと思います。
なお、私が持っている本は、岩波書店の同時代ライブラリーで、奥付を見ると、1996年第1版、1998年第6版になっています。
今は、岩波現代文庫になっているようです。
もともとは、1981年に講談社から『死の淵からの生還』として出版され、1984年講談社文庫では『500分の1の奇蹟』として出ていたもののようです。
今日は、引用ばかりで申し訳ありませんでしたが、私が最近読んだ本から、感動したエピソードについてお伝えしました。
今日も拙い文章をお読みいただきありがとうございました。
(2019.12.17)