こんにちは。
2020年の年頭に当たって、2019年に起きた大きな出来事の中で、思いを巡らす出来事が2つあります。
1つは、中村哲医師の殺害事件。
もう1つは、こちらは、現実でも現在進行中ですが、香港の学生はじめ若者のデモ。
中村医師について
中村医師は、長年、アフガニスタンの医療、井戸掘削、灌漑工事等に尽力されてきました。
事件後には、中村医師が先頭に立って築いた用水によって、砂漠だった土地が緑豊かな農地に変貌している様子がテレビで何度も流されました。
それを見ますと、感動を禁じえません。
(イメージ写真。アフガニスタンではありません。)
中村医師は、デスクに座って、現地の人に指示するような人ではなく、民衆の先頭に立って、自らスコップをふるい、重機を運転するような人でした。
治安が悪化して、日本人ワーカーが引き揚げた後も、ただ一人残って、アフガニスタンの人々と共に働き汗を流す人でした。
(イメージ写真。アフガニスタンではありません。)
私は、10数年前でしょうか、しばらく中村医師の活動を支援するために組織されたペシャワール会に加入し、中村医師の帰国報告会にも何度か参加し、中村医師の話を聞いたことがあります。
当時、出版されていた書籍にはほとんど目を通したと思います。
ここ最近は、ペシャワール会から離れて、中村医師の話を直接聞く機会はありませんでしたが、しかし、中村医師は、尊敬の対象として、常に私の中にありました。
現在の日本で、尊敬できる人を挙げるとすれば、いの一番に中村医師の名前が脳裏に浮かびます。
その先生が、2019年12月4日に、現地アフガニスタンで仕事に向かう途中に襲撃され、殺害されたということはたいへんショックな出来事でした。
北の空を見上げれば、星々の中心として、常にそこにある北極星のように、私にとっては、人としてあるべき姿の体現者として存在し続ける人でした。
香港のデモについて
昨年春の香港の逃亡犯引き渡し条例の改正案の提出を受けて、それに反対する香港の学生、若者を中心とする激しいデモが巻き起こり、同条例が撤回された後も、要求内容を拡大して、今なおデモ行動は続いています。
香港の民衆にとっては、1つの条例改正案の提出そのものが、香港の自主性、「1国2制度」をなし崩しにする動き、北京政府による支配の強化ととらえられているのだと思います。
数10万人、主催者発表では100万人を超えるデモ参加者の多さ(香港の人口は約700万人)、継続性、デモに付随する行為の激しさなど、世界中の耳目を集めています。
そのような中で、香港警察の対応の酷さが目につきます。
人々に対して、警棒を振るって殴打し、足蹴りにし、突き倒し、乱暴狼藉の限りを尽くすという印象です。
警察官が、丸腰の学生の腹部を拳銃で撃つ衝撃的な映像も世界中に拡散しました。
学生、若者たち、また彼らを支援する人々は、圧倒的な政府権力に向かって、自由を守るため、これまで守られてきた自由を手放さないため、果敢に闘っています。
警察官に殴打されても、引きずり倒されても、逮捕されても、学籍をはく奪されても、自分自身の利害得失を忘れて、香港の自由を守るために闘っています。
デモの背景、香港政府と中国政府との関係、経済関係など、いろいろ複雑な問題があるのだとは思いますが、やはり私たちの目に映るのは、香港警察の乱暴さとそれに立ち向かう学生、若者の果敢な行動です。
完全装備の警察に、傘一つ持って立ち向かう丸腰の学生、若者の姿です。
正義について想う。
中村医師の行動、香港における若者の行動を見て、私には「正義」という言葉が頭に浮かびます。
難しい定義はさて置き、私は、「正義」をより多くの人々のために正しいと自分が思うことについて、自分の利害を離れて、他の人々のために尽力するというほどの意味にとらえています。
東洋的には「義」という方が適切なのかもしれません。
2020年の初めに当たり、私にとって「自分の利害を離れて、人々のために尽力する」姿に移る2つのことがらを胸に置きながら、自分自身の2020年とそれに続く日々の生きかたについて想いを巡らしたいと考えます。
今日も拙い文章をお読みいただきありがとうございました。
(2020.01.01)