こんにちは。
第2次世界大戦が、日本の無条件降伏によって終結してから75年目を迎えました。
敗戦から10年を経過する前に生を受けた私は、祖母、親などから、戦時中の悲惨な状況を、直接聞くことができた世代に属しています。
もう、その具体的な内容は思い出せないことが多いのですが、空襲警報に逃げ惑う話、食料に窮した話などが多かったように思います。
いずれにしても、戦時下及び敗戦直後の庶民の話です。
戦争の被害をいちばんまともに受ける者たちの話です。
それらの話を聞きながら育ったことで、私の心に戦争を厭う気持ちがしっかりと植え付けられたように思います。
戦争はいやだ、戦争に兵隊としていくのは嫌だ、赤紙(召集令状)が来て兵隊にとられて、戦地に行って死ぬのは嫌だ、また相手の兵隊を殺すのも嫌だ、でも、向こうが撃ってきたらどうする……
撃ちたくない、死にたくない……
徴兵検査で不合格になるように、醤油を大量に飲んで検査を受けた話を聞いたこともあって、自分に赤紙が来たらどうやって兵隊になるのを免れることができることか……
子どもながら、戦争に関してそんなことを心配していました。
私が満40歳になったとき、「ああ、これでもう徴兵されることはないだろう」と心底ほっとしたことを思い出します。
兵隊ですから、若いものが中心になりますので、もう40歳になれば徴兵の対象から外れるだろうと勝手に思っていたのです。
もう戦争はないだろうとは思いつつも、気持ちのどっかで「もしかしたら」という思いがあったのかもしれません。
私が40歳というのは、もう昭和は終わって、平成になって何年も経っていた時期です。
そんな時代にそんな感慨を持ったというのは、本当に笑い話のようですが、私にとっては間違いない真実です。
叔父のひとりが亡くなる何年か前、盆の親族の集まりだったでしょうか、なにがきっかけだったのかも失念しましたが、ボソッと、自分が二等兵として召集された時のことを、「古参兵は、何の理由もないのに新兵を殴りつける。本当にひどかった。」と、口にしたことがありました。
そう言うとき、叔父は心底嫌そうな、憎々し気な表情をしていました。
すでに聴力の衰えが目立っていましたので、会話にはならないのですが、60年以上前の場面をまざまざと思い出しながらの吐露であったように感じ、今でも思い出すワンシーンです。
その叔父からは、戦争に関する話を聞いたことはなかったように思います。
普段は戦争について語ることがなかった人も、戦争で味わった苦い思いが心の奥底にいつまでも消えることなく残っているのだと思いました。
北朝鮮の核開発、中国の軍備拡張、尖閣列島などのニュースに触れますと、私も、つい「日本」と一体化してしまって地政学的な思考をしてしまうことがあります。
しかし、戦争をするのは「国」であっても、それで苦しむのは「国民」です。
戦後75年になる日に、私としては、戦火で逃げ惑う国民の立場に立って、二等兵として、被害を受けるひとりの国民の視線から、戦争について、政治について考えることを、自分に言い聞かせたいと思います。
今日も、拙い文章をお読みいただきありがとうございました。
(2020.08.15)